LIFE LOG(今日の夢はどんな夢?)

今日の夢はどんな夢?

記憶から消えない夢達を現実に追ってみた・・・

― アワヒメを追って 135話 ―

― 売布神社 ―

     めふじんじゃ

 

2022年6月15日 14:00 御参拝

兵庫県宝塚市中山寺

主祭神  下照姫神 したてるひめのかみ

配祀神  天稚彦神 あめのわかひこのかみ

 

今年の2月に兵庫県三田市の高売布神社で初めて〝下照姫命〟にお詣りさせていただき

ました。

 

yatutama.hatenablog.com

 

そして、宝塚市にも〝下照姫〟を主祭神とする神社があると知り、やってきたのでし

た。

 

一の鳥居

右手に小さく見える白装束の方達、山伏のような身なりに着替えてお詣りされていまし

た。

 

この参道にとてもいい雰囲気を感じます。

 


階段をのぼりきると、すぐ目の前に拝殿があらわれました。

 

狛犬様です。

 

 

二礼二拍手一拝・・・感謝申し上げました。

 

拝殿内には随神様。

 

 

社伝によると、推古天皇18年(610年)の創建と伝えられています。江戸時代には

貴船大明神〟と称し、水神を祀っていたとのこと・・・

貴船といえば〝高龗神〟でしょうか?

ですが、この一帯は物部氏一族の若湯坐連(わかゆえのむらじ)が拠点とした地であ

り、本来の御祭神は若湯坐連の祖である意富売布連(おおめふのむらじ)と見られてい

るようです。

 

厳島神社・・・宗像三女神の一柱の神、市杵島比売命をお祀りしております。

 

豊玉神社・・・豊玉姫をお祀りしております。

 

豊玉姫は海神の娘で、竜宮におられたとか・・・夫は山幸彦である火折尊(ホオリノミ

コト)で御子は初代神武天皇の父である鸕鷥草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミト)。

 

龍王大神とされておられます。

 


稲荷社です。

 

 


下照姫とは、稚日女尊と同神ではないかという説もあり謎多き女神ですね・・・

 

 

 

 

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

続きを読む

― アワヒメを追って 134話 ―

― 市杵島姫神社 ―

  いちきしまひめじんじゃ

 

2022年6月15日 13:40 御参拝

兵庫県宝塚市中山寺

御祭神  市杵島姫命 いちきしまひめのみこと

     天照大神 あまてらすおおかみ

     熊野大神 くまのおおかみ

     天児屋根命 あめのこやねのみこと

     誉田別命 ほんだわけのみこと

 

5月9日に広島県廿日市市厳島神社にて宗像三女神に御参拝させていただきました

が、本日は兵庫県宝塚市にて宗像三女神の一柱であり絶世の美女神といわれる、市杵島

姫命にお詣りすることが出来ました。

 

聖徳太子によって建立されたといわれる紫雲山中山寺の守護神、弁才天として境内に祀

られていましたが、天正年間(1573~1593)の荒木村重の乱で中山寺はすべて

焼失。慶長8年(1603)に豊臣秀頼が再建に着手し、慶長10年に落慶。当神社も

新境内の西方高台に鎮座されたということです。その後、明治元年廃仏毀釈令により

神仏分離となり、現在社地に遷座されたのが明治4年3月のことと伝えられています。

 

鳥居で一礼・・・

 

手水舎・・・右手の透明な器に入っているのは祓い塩なんだろうなと思いながらも、ポ

タポタと滴る水滴で身を清めました。

 

狛犬様です。

 

 

拝殿にて、とても心地よく御参拝させていただくことができました。

 

こちらが本殿。



市杵島姫命をお祀りする神社も多いですね、主祭神ではなくても、境内社や境外末社

池があり橋が架かっていると、その先におられるのは〝市杵島姫命〟または〝弁才天

だと思います。

ヒンドゥー教の女神である〝サラスヴァティー〟が仏教に取り込まれ〝弁才天〟とな

り、本地垂迹では〝市杵島姫命〟と同一視されているようですが、何だか複雑ですね。

 

末社ですが、御祭神は?

 

御神木です。

 

 

 

こじんまりとした神社ではありましたが、清らかな雰囲気に包まれておりました。

 

市杵島姫神社〟御参拝前に立寄った中山寺はこちらです。

 

山門。

 

弘法大師空海

色艶やかな五重塔

 

 

仲哀天皇の后である大仲姫の古墳もありました。

中山寺の歴史・・・

寺伝では聖徳太子が建立したという日本最初の観音霊場である。創建の経緯は仲哀天皇

と先后大仲姫の子である麛坂皇子の追善供養のため、あるいは蘇我馬子聖徳太子に敗

れた物部守屋の霊を鎮めるために建立されたという、歴史的にもたいへん由緒ある寺院

です。

とても大きな寺院ではありますが、誰もが御参拝できるようにエスカレーターやエレベ

ーター設置されており、バリアフリー化されておりました。

 

中山寺に行かれたなら、ぜひ歩いて数分で辿り着ける〝市杵島姫神社〟にぜひ御参拝

を!

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

続きを読む

― アワヒメを追って 133話 ―

― 邇保姫神社  ―

       にほひめじんじゃ

 

2022年5月10日 11:00 御参拝

広島県広島市南区西本浦町

御祭神  爾保都比売神 にほつひめのかみ

     帯中津日子神 たらしなかつひこのかみ

     息長帯比賣神 おきながたらしひめのかみ

     品陀和氣神 ほむだわけのかみ

 

主祭神である〝爾保都比売神〟初めて耳にする神様なので調べてみました。

播磨国風土記〟に登場する女神。〝丹生都比売神〟と同神と考えられている。〝国堅

大神=大国主神〟の子神とされる。神功皇后三韓征伐の折、播磨国で戦勝を祈ったと

ころ、播磨国造であった〝石坂比売〟を通じて爾保都比売命より、自分をよく祀れば

丹波(になみ)〟によって新羅を平定できると託宣があり、赤土を授けたという。神

功皇后はこれを〝天之逆桙(あまのさかほこ)〟に塗り、船の前後に立て、服を染めて

海水をかき濁らせながら海を渡ったところ、魚にも鳥にも遮られずに渡ることができ、

新羅の平定に成功したという。

この後爾保都比売命は紀伊国の管川(つつかわ)の藤代の峯に祀られたとされるが、こ

の管川とは現在の和歌山県伊都郡高野町にある〝筒香(つつか)〟のことだと考えられ

ており、筒香の東の峰には和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある式内社〝丹生都比売

神社〟の旧鎮座地があったと考えられている。

 

・・・ということは、古来この地は〝丹〟すなわち、朱砂の産地だったのか?

 

一の鳥居の狛犬様。

 

 

久し振りに見た両部鳥居です。

 

こちらは十二支を纏ろう燈籠、よく見ると龍に紛れて亀さんや獅子でしょうか?十二支

以外にもいろいろと彫られています、すごいですね!

 

階段を上り、まずは手水舎にて身を清めます・・・

この手水舎は、この神社で唯一残っている被爆建造物です。

 

拝殿前の狛犬様はきりりとしておられました。

 

 

拝殿。

 

何だか明るく開放的な気を感じながら、御参拝させていただきました。

 

御由緒

社伝によれば、神功皇后三韓征伐の帰途に当地で一泊し、霊験のあった爾保都比売神

を鎮祭した。翌日出発する際に邪気祓いとして放った矢が現在地の山に当たったので、

その矢を御神体として仁保島(現在の黄金山)の鎮守としたのが神社の始まりであると

いう・・・

かつてこの地は、広島湾に浮かぶ小島であったそうです。

 

十二支の彫物。


境内社へと向かいます・・・

 

氏室社、御祭神は大穴牟遅神

 

御祭神はわかりませんでした・・

 

稲荷社・・


神社参拝に行くと、必ずといっていいほど境内社に稲荷神社がお祀りされているように思い

ます。

秦氏氏神であり、弘法大師空海がひろめた真言密教の守護神でもある稲荷神は何故こ

んなにも多くお祀りされているのか不思議でなりません。

単純に御利益が五穀豊穣や商売繁盛とわかりやすい現世利益だったからなのでしょう

か?

 

実は私、稲荷神社が苦手でどうしてもお詣りできなかった時期がありました。

理由はよくわからないのですが、幼心に狛狐さんのとがった目が怖かったのは間違いな

いと思います。

それも今となっては昔話で、どこの神社に行っても普通にお詣りさせていただけるよう

になりました。

 

こちらの邇保姫神社を中心にしたレイラインが描かれている銀板、どこかで見たような

気がします・・・

 

淡路国一宮 伊弉諾神宮で見たこの石碑ですね。

f:id:yatutama:20210124162308j:plain

 

ある一定のライン上に聖地が点在するという説が数多くあるようですが、実のところど

のような意図があるのでしょうか?

歴史のロマンを感じるだけに、とても興味深いです。

 

宮島の弥山に登れなかったのが心残りではありましたが、この邇保姫神社を最後にして

広島を後にするのでした。

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

続きを読む

― アワヒメを追って 132話 ―

― 比治山神社  ―

       ひじやまじんじゃ

 

2022年5月10日 10:30 御参拝

広島県広島市南区

御祭神  大国主神 おおくにぬしのかみ

     少名毘古神 すくなびこなのかみ

     市杵島比売神 いちきしまひめのかみ

     須佐之男神 すさのおのかみ

     車折大明神 くるまざきだいみょうじん

 

そうそうたる御祭神の中に、はじめてその御名を聞く神様〝車折大明神〟とはどんな神

様なんでしょうか?

 

調べてみると、第80代天皇である高倉天皇の侍読(天皇の側に仕えて学問を教授する

学者)にもなった、平安時代後期の儒学者天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫、

清原頼業という人物が没後〝車折明神〟として祀られるようになったようです。

相当な才能の持ち主であったようで、大外記という職を24年務め和漢の学識と実務の

手腕は当代無比といわれ、晩年には九条兼実から〝その才、神というべく尊ぶべし〟と

称えられたのでした。

京都市右京区嵯峨朝日町にある車折神社主祭神として祀られており、また境内社の芸

能神社は芸能関係者に尊崇されており有名な神社であるようです。

 

どのような経緯で、比治山神社にお祀りされるようになったのでしょう?

 

一の鳥居。

 

狛犬様・・・安産・厄除祈願として撫でてくださいと書かれています。

 

 

奥の狛犬様は、構え型です。

 

 

そして、きれいな手水舎。

 

二の鳥居。

 

落着きのある拝殿です。

 

二礼二拍手一拝・・・お願い事は特にないので感謝のみ申しあげました。

 

この神紋は〝亀甲の中星〟と呼ばれています。

外枠が亀甲なので出雲系・・中心の五芒星は京都の清明神社を彷彿とさせますね。


由緒です。

 

黄幡大明神とは?

インド占星術が扱う9つの天体を神格化した九曜と呼ばれる神の中のひとつ、羅睺(ら

ごう)を祀ったもので集落の境や村の中心、村中と村外の境界や道の辻、三叉路などに

おもに石碑の形態で祀られている神・・・

なんだか道祖神のようですが、もともとは、インド神話に登場するラーフという蛇神な

んだそうです。

広島市とその周辺地域では、その〝黄幡〟という神が信仰されていたらしく、庶民には

〝おんばさん〟という愛称で親しまれていた。

広島市安佐南区には、現在も黄幡神社が多数存在していますが明治時代の神仏分離によ

って外来の神を神社に祀ることが禁止されたせいなのか?

祭神は別の神に変えられているようですね・・・

 

境内社・・稲荷神社、御祭神は、宇迦之御魂大神

 

こちらの神社、本来の御祭神はどちらの神様なんでしょう?

 

獅子と呼ぶべきか・・・いやライオンもおられました。



本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

続きを読む

― アワヒメを追って 131話 ―

― 鶴羽根神社  ―

     つるはねじんじゃ

 

2022年5月10日 10:00 御参拝

広島県広島市東区二葉

御祭神  品陀和気命 ほむだわけのみこと・・第15代天皇 応神天皇

     息長帯日売命 おきながたらしひめのみこと・・第14代皇后 神功皇后

     帯中津日子命 たらしなかつひこのみこと・・第14代天皇 仲哀天皇

     伊邪那岐命 いざなぎのみこと

     伊邪那美命 いざなみのみこと

 

〝鶴羽根神社〟という名前が美しく思え訪れたのですが、行ってみると武運の神である

八幡神をお祀りする神社でありました。

広島東部の総氏神だそうです・・・

 

鳥居の向こうに見える太鼓橋が、神域との境界を感じさせてくれます。

 

手水舎。

 

この手水舎には、こんな由来がありました。

手水舎だけでなく、石鳥居・石ノ太鼓橋・唐獅子・石灯篭も当時のままの残っていると

のこと・・・唐獅子とは狛犬様のことでしょうか?

 

狛犬様。

 

 

最後の鳥居は、新しく建てられたもののように見えました。

 

平安時代末期の武将 源頼政の側室である、菖蒲の前(あやめのまえ)の遺志によって

創建された神社だそうです。

当初は椎木八幡宮と称されていたようですが、明治元年に神社背裏の山形が鶴の羽根を

広げた姿に似ているところから社名を、鶴羽根八幡宮と改め、同5年に鶴羽根神社と改

称されました。

 

拝殿です。

 

二礼二拍手一拝にて御参拝・・・

 

鶴羽根神社背後の二葉山には、二葉山山麓七福神巡りという神社仏閣を巡る御参りがあ

り、ここ鶴羽根神社は七福神である弁財天を境内にお祀りしています。

鳥居をくぐるとすぐに太鼓橋があったのは、ひょとして弁財天をお祀りされていること

と何か関係があるのかも?

 

そして、椎木稲荷神社・・・創建は遠く不詳ですが朝櫻神社と称していた境内社と、地

主神を併せ祀られております。

 

 

鶴羽根神社創建の遺志を残した菖蒲の前(あやめのまえ)とは源頼政の側室であり、そ

して源頼政とは、平家物語のなかで鵺(ぬえ)と呼ばれる怪物を退治したとされる武将

です。

源平合戦の中に生きた菖蒲の前は尼僧となり名を西妙と改め、弔いの日々を過ごしてお

りましたが、ある時死期を予感した西妙は辞世の歌を詠まれました。

〝定めなき 世をうき事に 見かぎりて 菩提の道に 入るぞ嬉しき〟

〝すみはてぬ 世を秋風の 身となれば 消ゆる間をまつ 山かげの霜〟

・・・私にはなんとも悲しい歌に思えました。

 

菖蒲の前はお亡くなりになった後に、小倉大明神として祀られることになり、現在も小

倉神社として祀られているようです。

 

御朱印を頂こうと社務所に行くと人がおらず、一度はあきらめたのですが数時間後に再

来し無事御朱印を頂くことができました。

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

続きを読む

― アワヒメを追って 130話 ―

― 千畳閣  ―

    せんじょうかく

 

2022年5月9日 12:30 御参拝

広島県廿日市市宮島町

主祭神  豊臣秀吉霊神

     加藤清正霊神

 

千畳閣とは厳島神社末社である豊国神社の通称であり、本殿の広さが畳857枚分の広

さがあることから〝千畳閣〟と呼ばれるようになったそうです。

天正15年(1587年)に豊臣秀吉公が安国寺恵瓊に命じて建立した本瓦葺き入母屋

造りの大経堂なんですが、建設途中に秀吉公が亡くなったため工事が中断され、板壁も

天井もなく未完成の状態のままとなっています。

もともとは〝寺〟としての意味合いが深く、数々の仏像をお祀りしていましたが明治時

代の神仏分離によってお祀りされていた仏像は、先程お詣りした大願寺へと移されまし

た。

 

こちらが秀吉公をお祀りしている本殿です・・・

未完成ではあるのでしょうが、これはこれで見応えはありました。

近くに寄ってみると、特大のしゃもじ?が本殿の左右にたくさん立て掛けられていま

す。

宮島はその昔、日本一の木製しゃもじの産地だったそうです。

そして・・・しゃもじとは〝飯をとる〟つまり〝敵を召し取る〟との語呂合わせなのか

日清戦争日露戦争時代にしゃもじを奉納し戦地へ向かった多くの兵士がおられたそう

です。

そのしゃもじの奉納のやり方とは、兵士が柱にしゃもじを打ち付けて出征して行ったよ

うで千畳閣の柱は傷だらけとなっておりました。

 

広い本殿内には数々の額や彫物が奉納されております。

なにやら恐ろしい面と、白馬を二人の男が捕えている絵でしょうか?

伊・・島大明神?  いつくしまだいみょうじん?

とんでもなく大きなしゃもじに描かれた〝龍〟・・・


本殿から出ると、厳島神社五重塔がそびえ立っていました。

 

実は御朱印を頂いた時に、神職の方から主祭神豊臣秀吉公であると初めて聞いたので

すが、戦国時代に名を残した武将が神様と崇められていることに何故か違和感を感じて

しまうのでした。

 

金刀比羅神社にも御参拝させていただきました。

 

こちらは、三翁神社です。

 

 

最後に、猿田彦大神をお祀りする道祖神社にお詣りさせていただき宮島を後にします。

 


本来ならば、霊峰である〝弥山〟に登って初めて厳島神社にお詣りしたと言えるのだと

思うのですが、今回は残念ながら弥山へ登らずに宮島を去ります・・・

 

この後は、広島平和記念資料館に行き・・・

 

 

そして神社ではなく、この場所で手を合わせました。

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

続きを読む

― アワヒメを追って 129話 ―

― 亀居山放光院大願寺 ―

 ききょざんほうこういんだいがんじ

 

2022年5月9日 11:00 御参拝

広島県廿日市市宮島町

主尊  厳島弁財天 いつくしまべんざいてん

・・・御本尊は薬師如来または釈迦如来

 

厳島神社の境内から出るとすぐに見えたのは、大願寺という寺院でした。

高野山真言宗の寺院で、寺伝によれば平安時代初期に空海によって開かれたと伝えられ

ており、その後鎌倉時代初期に了海という僧によって再興されたよう・・・

 

こちらがすぐに見えてくる山門。

 

神社では阿吽の狛犬様ですが、こちらは阿吽の金剛力士像。

 

江ノ島の金亀山与願寺、竹生島宝厳寺、そしてこの宮島の大願寺が日本三大弁財天と

呼ばれている寺院であります。

 

本堂には神仏分離令によって厳島神社から遷された八臂弁才天象が秘仏としてお祀りさ

れており、毎年6月17日に御開帳されているようです。

 

ヒンドゥー教水の女神〝サラスヴァティ〟が七福神の弁財天として仏教伝来時に日本

へやってきました。

そして何故かはわかりませんが、市杵島姫命神仏習合において弁財天と同一視されて

いるようですね、または宇賀神とも・・・

 

護摩堂・・総白檀の1丈6尺(約4.85m)の不動明王がお祀りされております。

 

こちらは、厳島龍神をお祀りしております。

 

こちらの地蔵菩薩に囲まれている仏様はなんておっしゃる仏様なのでしょう?

 

大願寺を後にして次に向かったのは、厳島神社ととても縁の深い〝平清盛〟をお祀りし

ている清盛神社です。

 

1954年に創建された神社なので、あまり知られていないのかも知れません・・・

 

 

源平合戦の悲しさを思い起こし、平清盛公に手を合わせました。

 

もう少し、宮島の散策は続きます・・・

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

続きを読む