LIFE LOG(今日の夢はどんな夢?)

今日の夢はどんな夢?

記憶から消えない夢達を現実に追ってみた・・・

― アワヒメを追って 52話 ―

― 播磨国三之宮 住吉神社 ―

                  すみよしじんじゃ

2021年3月6日 15:00 御参拝

兵庫県加西市北条町北条

 

御祭神 底筒男命 そこつつのおのみこと

    中筒男命 なかつつのおのみこと

    表筒男命 うわつつのおのみこと

    神功皇后 じんぐうこうごう

    酒見神  

    大歳神  おおとしのかみ

    八幡神  やはたのかみ

 

― 47話 ― と ― 49話 ― で播磨国の一宮、二宮と巡ってきました。

 

yatutama.hatenablog.com

 

 

yatutama.hatenablog.com

 ・・・で今回は、播磨国三之宮 住吉神社です。

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住𠮷神社といえば海の神様である 底筒男命〟 〝中筒男命〟 〝表筒男命〟 

そして 神功皇后〟 主祭神住吉大神)となっており、航海の神様とされている

ので、お祀りされている場所は海沿いに多く見られます。

・・・が、加西市住吉神社さんは海岸から約20㌔も離れています。

創建が717年なので、今から1300年程前の地形はどうだったのでしょうか?

時代は奈良時代、今とあまり変わらぬ地形だと思います。

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今日はお日様も顔を出さず小雨が降ったりとあいにくのお天気。

 

手水舎・・水は流れてなかったです。 

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 鳥居をくぐると目の前にこんもりとした・・こんもりとした・・・塚?があります。

何と言ったらいいのかわからなかったのですが、〝勅使塚〟というみたいです。

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今でも行われているのかわかりませんが、闘鶏や龍王舞などの神事が行われる場所だそ

うです。

 

住吉大社神代記〟(731年)には住吉大神の宮〝九箇処に所在り〟と書かれてある

のですが、ここ加西市住吉神社がその九社の中の一社となっています。 

この神社、古くは酒見大明神・酒見神社と呼ばれていたらしく明治時代に県社に列格さ

れた際に現在の神社名に改められました。

ひょとして、主祭神〝酒見神〟かもしれないですね。

 

 

小さな狛犬様。 

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大きま狛犬様。

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この拝殿、風格ありますよね。

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拝殿に三本の鈴緒があります。 中筒男命〟 〝底筒男命〟 〝表筒男命 でし

ょうか? 

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そして、本殿は大規模な住吉造の建物が三棟並んでいました。 1851年に再建

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拝殿と幣殿と本殿が三棟。(本殿が二棟しか見えていない・・)

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由緒―養老元年(717年)老翁老媼の神様が五王子を伴って鎌倉山に来られました。

随従していた佐保神は北条へ行くように勧め、その途中神宝を盗んで、川東へ逃げまし

た。この佐保神が祀られ佐保神社になりました。

その後、翁と媼は王子を伴い北条に来られて、北条に六町歩の門田を持つ山酒人に宿泊

を願い出ました。

酒人は手厚くもてなした後、神である証拠を見せてほしいとお願いしました。

すると、翌朝には六町歩の門田が悉く平地となり、苗が大きな松に変わりました。

ここに山酒人が神殿を造り祀ったのが住𠮷神社(当時は酒見神社)だと言われていま

す。―  これを読むと住吉大神というより、この五王子が気になります。

 

別の記事では、山酒人が酒見神(地元神)と住吉四柱の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。 と簡単に紹介してくださってました。

 

拝殿・幣殿・本殿の周辺を見て回ると四隅にそれぞれ小さな社殿があります。

拝殿を正面に見て左右に、南向きの社殿がそれぞれ建てられており、本殿を後方から見

て左右に、東向きと西向きにそれぞれ社殿が建てられています。

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北向きの社殿はなかったですが、何か意味がありそうですね・・・

 

この住𠮷神社の御由緒も、度重なる火災や戦乱により当時のものは残っておらず、現在

の御由緒は社殿が創建されてから600年~900年後に書き記されたもののようで

す。 1300年の歴史を持つ神社ですが、半分の歴史が失われてしまってるのです

ね。 残念だな・・・

 

今回は、播磨国三之宮 住𠮷神社でした。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 51話 ―

― 石戸神社 ―

     いしどじんじゃ

2019年9月8日 16:00 御参拝

兵庫県神戸市西区

主祭神 素戔嗚尊 すさのおのみこと

 

神戸市西区に流れる伊川のほとりにある、小さな神社です。

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自然に囲まれた静かな神社。

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浄瑠璃などで有名なお話〝石堂丸物語〟知っていますか?

私は知りませんでした・・・が、この神社と関わりがあるんです。

少し長くなるのですが、興味がある方はどうぞ・・・

 
 崇徳(すとく)天皇の時代(1123-41)筑前守護職加藤兵衛尉繁昌(ひょうえのじょうしげまさ)は、香椎(かしい)の宮に世嗣出産の願をかけ男児を得たのが繁氏である。繁氏17歳の時家臣原田種正の娘桂子を妻とした。19歳のときに父を失う。
 繁氏は仁平(にんぺい)元年(1151)花見の帰途雨に遭い、朽木尚光(くちきなおみつ)の家に雨宿りをし、その縁で娘千里(ちさと)を妾としたが、本妻桂子の嫉妬はげしく千里を亡きものにしようとした。繁氏は人の世の憂きことを嘆き、俗世を離れ仏門に入るべく高野山に登り、覚心上人によって得度(とくど)し苅萱道心と名乗った。国の千里は繁氏の後を追ったが、播磨国太山寺(はりまのくにだいさんじ=現在の神戸市西区)に身を寄せ、石童丸を生み14年間そこに滞在した。
 石童丸14歳の時、父繁氏が出家して高野山にいるとの話を伝え聞き、母と一緒に高野山をたずねたが女人禁制で母は登れずやむなく一人で登り苅萱道心にあう。しかし父は一度恩愛のきずなを断ち出家した身であり、親を名乗らず子を帰らせる。石童丸は麓の宿に帰る。永万(えいまん)元年(1165)母は病のために死ぬ。
 石童丸は再び山に登り母の死を伝える。父は出家の身である事を考え、石童丸を弟子として信生法師と名乗らせ、生涯父子を名乗らず念仏修行の生活を送ったといわれる。

 

という悲話なのです。

 

ここに登場する、播磨國太山寺がこちら

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残念ながら、まともな画像がなかったです・・・
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この太山寺の近くの石戸家で石堂丸がうまれました。そして石戸家には石堂丸生誕の石

碑や産湯の井戸が今でも残っています。

 

そんな伝説を持つ神社が、先程の〝石戸神社〟なんですね。

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こんなに近くの、本当に小さな神社に有名な物語が残されていたとは思ってもみません

でした。

 

教えてくれたのは一番下の娘でした、同級生に石戸さんという方がいるのかな?

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 50話 ―

― 播磨国一宮 伊和神社 ―

          いわじんじゃ

2021年2月28日 14:45 御参拝

兵庫県宍粟市一宮町

主祭神 大己貴神 おおなむちのかみ

配祀神 少彦名神 すくなひこなのかみ 

    下照姫神 したてるひめのかみ 

    

多可郡の天神社を後にして、播磨国一宮 伊和神社へと向かいました。

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鳥居で一礼します。 こちらの鳥居も両部鳥居です、でも反りが落ち着いてますね。

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隋神門です。

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何とか撮れてますね、門の神様。 表情が物静かです。

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手水舎。  黒龍様の足元に亀。

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渋い黒龍様です。

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御由緒です。

― 大己貴神は又の御名を大名持御魂神大国主神とも申し、播磨國開拓の祖神、総鎮護の神と崇め、國内最高のお社として播磨國一宮と申し上げます。 ―

 

大己貴神オオナムチノカミ、多くの名前を持つ神そして多くの妻と子を持つ神であ

り、子供の数は古事記では180柱、日本書紀では181柱と書かれています。

一説では、大国主神とは、その神代の時代での役職名だともいわれているようですが、

役職名であるとすればこの子供の数は納得出来ますね。

 

拝殿が見えて来ました。  御祓い待ちの車が並んでいます。

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配祀神 下照姫神とは、大己貴神田心姫神宗像三女神)の御子となり、そして葦原中国平定の為に高天原からきた天若日子と結婚をした国津神です。

 

落ち着きのある拝殿ですね。

 

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狛犬様が・・・  まさかのマスク姿。

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幣殿・・ さすがは一宮大きな幣殿。

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幣殿の左右に鶴がいました。

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そして本殿です。

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こんな由緒があります。

― その昔、播磨地方の豪族であった伊和恒郷に〝我を祀れ〟との御神託があった。す

ると一夜のうちに杉・桧等が群生して多くの鶴が舞っており、大きな白鶴が二羽石上に

北向きに眠っていたので、その上に社殿を造営したという。その石を〝鶴石〟といい、

社殿が北向きであるのもそのためだそうです。 ―

 

境内摂社に、伊和恒郷命と旧神戸村の殉国の英霊を祀る、御霊殿があります。

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鶴石〟です。 本殿の裏に祀ってありました。

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境内摂社です。 

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伊和神社は、成務天皇14年(144年)に創建されたといわれています。

播磨国の一宮であり、総氏神と崇められている落ち着きのある神社です。

祭神の大己貴神は伊和大神と呼ばれることもあり、播磨地方の歴史を伝える〝播磨国

土記〟によると、伊和大神は播磨国を建てたとされています。

また大己貴神は播磨で国造りを行った後、現在の伊和神社がある場所で鎮まったとされ

ているのですが、大己貴神こと大国主命といえば出雲大社の御祭神として有名でありま

すよね。

播磨国風土記〟や〝出雲国風土記〟また山陰・北陸等々の地方伝承に大国主命が登場

することから考えても、やはり大国主命とは神様の役職名のようなものと考えたほうが

いいのかも知れません。

 

2021年の2月最後の日は、多可郡から宍粟郡の神社三社を巡って来ました!

今まで見たことのない雰囲気の神社に出会えたように思います。

次はどこに行くことになるのでしょうか? 楽しみです・・

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 49話 ―

― 天神社 ―

     てんじんじゃ

2021年2月28日 13:00 御参拝

兵庫県多可郡多可町中区徳畑

主祭神 高御産巣日神 たかみむすびのかみ  

配祀神 天之御中主神 あめのみなかぬしのかみ 

    神産巣日神 かみむすびのかみ 

    菅原道真 すがわらのみちざねこう

 

天之御中主神高御産巣日神神産巣日神この三柱の神様を造化三神といいます。

 

播磨国二宮荒田神社の次に御参拝させていただいたのですが、こちら天神社の両部鳥居

も素晴らしい! 扁額の上にこれは木鼻というのかな?立派です。

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― 47話 荒田神社 ―の鳥居と似ています。

 

yatutama.hatenablog.com

 

こちらの神社は参道が長く、奥へ進むにつれて気が引き締まっていきます。 

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この木は杉でしょうか、横も上も空間をさえぎらんばかりです。

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隋神門が見えて来ましたね・・・

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隋神門の真正面に拝殿が見えてきた、期待感が高まります。

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隋神門の狛犬様。

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桜の紋でしょうか?いや梅紋のようです。

菅原道真公をお祀りしている、北野天満宮にこのような紋が見られます。

 

門守神(かどもりのかみ)・・よく見えない。

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 拝殿正面です。 こちらの神社も雰囲気いいですね!

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造化三神とは?

古事記によると、天地開闢のときに高天原に出現し、万物生育化育の根源となった三柱

の神様です。

天之御中主神は天地初発の時に高天の原に成りました最初の神様。

高御産巣日神造化三神の一柱で、天之御中主神に次いで二番目に高天の原に成りまし

た独神で、身を隠している別天神

神産巣日神造化三神の一柱で、天之御中主神に次いで三番目に高天の原に成りました

独神で、身を隠している別天神。 ・・・この身を隠しているという意味がよくわかり

ません。 

別天神とは造化三神宇摩志阿斯訶備比古遅神天之常立神天津神の中でも特別な、

五柱の神の総称です。(宇摩志阿斯訶備比古遅神=うましあしかびひこじのかみ)

と呼びます。

 

一般的には天之御中主神最高神で、高御産巣日神は天の生育化育の神様であり、高天

原系の神様の代表。神産巣日神は地の生育化育の神様であり、国津神系の神様の代表と

して活躍されます。

天之御中主神は常に双神の間に存在し、常に融和を促す神様なのかも知れません。

それとも、宇宙、天、地の順番かも・・・宇宙の中に天も地も、その身をかくしてい

る?わけですから・・・。 ちょっといい加減過ぎましたか?

 

そういえば、荒田神社主祭神少彦名命神産巣日神の御子でしたね。 

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彫刻も美しい。

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本殿・幣殿・本殿  大きさこそ違えども、荒田神社に負けず劣らず素晴らしい。

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境内摂社 素戔嗚命神社  摂社までがこの造り・・・

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境内摂社 大己貴神

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神社名が天神社というからには本来は菅原道真主祭神なのかも知れませんね?


こちらの神社では春祭りが4月に行われていたはずです。このコロナ禍で今年の御祭り

はどうなるのでしょう?

 

今回多可郡の神社、2社を巡って来ました。

京都や奈良の有名所の神社も、きれいで見所も用意されていたりして楽しめるので

すが、私はあまり人に知られていない自然に囲まれた場所に行くほうが好きです。

なので今回の神社参拝は非常に楽しい時間となりました。

 

多可郡近辺にまた出没しそうです。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

― アワヒメを追って 48話 ―

― 播磨国二宮 荒田神社 ―

         あらたじんじゃ

2021年2月28日 12:00 御参拝

兵庫県多可郡多可町加美区的場

主祭神 少彦名命  すくなひこなのみこと   

相殿神 木花咲耶姫命 このはなさくやひめのみこと     

    素盞嗚命 すさのおのみこと             

 

播磨国内で二番目の社格の高い神社 、播磨国二宮です。

 

どうですか・・この鳥居 格好良くないですか? 両部鳥居というらしいです。

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失礼を承知で、鳥居の上の部分なんですが、モスラが羽根を広げ飛んでくるように見え

てしまうのは私だけでしょうか?

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2月最後の日曜日、自粛モードの中我慢できずに飛び出してしまった・・・

と言っても一人で出掛け、行った先は全然密ではない神社でした。

 

隋神門です。

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 門守神(かどもりのかみ)です。 格子の間から撮影しました、手前には狛犬様もいら

したのですがうまく撮れていなくて・・・

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こらっ!   怒られているみたいです・・・申し訳ございません!

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でも一応貼り付けます。 

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次は境内の狛犬様ですが、年季が入っていますね。

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鳥居が立派なだけじゃなかった!

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拝殿内。

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立派です。

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拝殿・幣殿・本殿と御見事です。

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主祭神少彦名命とはどのような神様でしょうか?

古事記では〝神産巣日神〟の子とされ、日本書紀では〝高御産巣日神〟の子とされてい

ます。造化三神の御子なので神格はかなり高いのでしょう。

 

― 大国主命が美保岬の海岸に立っていると波間に天の羅摩船(かがみふね)というガ

ガイモの殻でできた船に乗り、蛾の皮でできた服を着た神が見えた。

そこで神に名を尋ねたが答えない。お付きの神々にもその名を知るものはいなかった。

ヒキガエルが〝久延毘古(くえびこ/案山子のこと)なら知っているだろう〟と言った

ので、すぐに久延毘古を呼び神の名を問うと〝神産巣日神の御子、少名毘古那神であ

る〟と答えた。

大国主命神産巣日神に、その真偽を聞くと〝まさに私の子である。小さすぎて私の手

からこぼれ落ちた子だ。その子と兄弟の契りを交わして国造りを行うがよい〟と答え

た。 ― とあります。

 

また知らない名前が出て来ました。 〝久延毘古(くえびこ/案山子のこと)〟

久延毘古は足がないので動けないかわりに、じっと世間の様子を窺っているから物知り

なんだそうです。

 

荒田神社の御祭神を考える。

 

少彦名命天津神)・木花咲耶姫命国津神)・素盞嗚命天津神から国津神へ)

となるのですが、その昔にこの地で天津系の人達と国津系の人達が融合したのではない

かとか思ったりもします。   おおまかですけど・・・

 

御神木かな?

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この荒田神社、鎌倉・南北朝時代播磨国の地誌〝峯相記〟や江戸時代の地誌〝播磨

鑑〟によると、天平勝宝元年に赤い衣服をまとった唐の女人が天から降臨するといった

逸話が残っているようですが、それ以上は読んでないので詳細は不明です。

 

今回この荒田神社に御参拝させて頂いた理由は、播磨国一宮である伊和神社には数年前

に行った事があるのですが一宮があるなら二宮もあるでしょうと思い調べ見つけたのが

播磨国二宮荒田神社でした。

兵庫県朝来市の神社は神錆びた雰囲気でよかったのですが、多可郡付近の神社また違っ

た趣があるのかも知れません。

間違いなくこの荒田神社に関してはそう言えると思います。

 

次回も多可郡の神社です。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 47話 ―

― 二宮神社 ―

       にのみやじんじゃ

2018年12月2日 15:45 御参拝

兵庫県神戸市中央区二宮町

 御祭神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命                                                                               まさかつあかつかちはやび・あめのおしほみみのみこと

天照大御神の御長男にあたる神様。

 

神様の御名前って長いですよね、見たままや感じたままの言葉が名前の中に入っているように感じます。

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神戸の街中にある神社です。

 

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由緒  ― 神功皇后は九州の熊襲を平定した後、朝鮮半島へ渡って百済新羅高句麗をも平定する三韓長征を成し遂げました。長征を終えた皇后一行は大和国の玄関口である難波津へと向かいますが、その途中で皇后は天照大御神の御神託を受け、長田、生田、広田、住吉の四社を建立されました。二宮神社の由来は、生田神社建立の際に、皇后が二宮神社をはじめとし、天皇家にゆかりの神々を祀る八社を巡拝されたことにさかのぼります。・・・ ―

 

この八社もすべて、神功皇后ゆかりの神社となります。

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御神木です  けやき 樹齢700年と書いてありました。

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狛犬様です・・・が、いつもと違い背景がマンション。

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立派な拝殿ですね!

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御幸石  ― 859~877年に、当時生田神社のあった砂山(いさごやま/新神戸駅の裏山)が大水害にみまわれ、現在の地に御社を築く間、二宮神社で生田神社の御神体を奉安したとされるのが、この「御幸石」です。 ―

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このような摂社も御座います。

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本当にこのような文字を使っていたのでしょうか?

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史実通りであれば、二宮神社の歴史は1800年以上となるようです。

今は街中ですが、当時の神社周辺はどんな感じなんでしょう?

そして神社も今と同じ様に鳥居と社殿があるという形態だったのでしょうか?

御幸石が伝えている様にもっと自然崇拝に、近かったのかも知れません。

 

神功皇后 〝息長帯姫大神 おきながたらしひめのみこと〟 この女神をもっと知りたくなりました。

 

以上 数年前・・もっと前かも知れませんが、〝嵐〟 活動停止中 の聖地

二宮神社でした。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 46話 ―

― 和田神社 ―

       わだじんじゃ

2020年1月13日 12:00 御参拝

兵庫県神戸市兵庫区和田宮通り

 御祭神 天御中主大神 造化三神の主たる神様 

     市杵島姫大神 宗像三女神の女神

     蛭子大神   伊邪那岐 伊邪那美の第一子

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手水舎の周りに一白水星から九紫火星まで、2020年の運勢が書かれていました。

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狛犬様です。

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拝殿の前に茅の輪くぐりがありました。横8の字に3回くぐります。

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茅の輪くぐりの由来は、蘇民将来

 

yatutama.hatenablog.com

 

和田神社の由緒です。

― 蛭子大神が淡路島を出て本土に上陸された最初の地が和田岬で、そこにあった森を

「蛭子の森」と云い神代の昔に蛭子大神が祀られた西摂最古の聖地です。 ―

 

蛭子大神が最初の御祭神だった事がわかります。

 

― 1173年に平清盛が築港の際に、事業の無事と繁栄を祈願して安芸の宮島厳島

神社)から市杵島姫命を勧請しました。 ―

 

次に市杵島姫命がお祀りされたのですね。

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― 1658年に兵庫県西宮市の岡太神社から天御中主大神の坐す神輿が流れ着き、

種々の神異をあらわし、それを知った当時の尼崎城主が天御中主大神を主神にして社殿

を造営し、和田の明神というようになった。1902年、造船所の建設のため現在地に

遷座した。 ―

現在地から西南800mのところが元々の神社があった場所らしいです。

 

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宮比神社 八柱の神様がお祀りされてあります。

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猿田彦神社 祭神 猿田彦神/天宇受賣神   秋葉神社 祭神 忌火産靈神

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和田神社での神の使いは、白蛇なんだそうです。

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この石は偶然こうなったのでしょうか?   そしてこの後ろには・・・

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白蛇様がたくさんいらっしゃいました。

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影向松 ようごのまつ  和田神社の使いである白蛇様が初めて姿を現した御神木。

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こちらは龍神様ですね。

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こちらの神社、飾られなくなった人形の御祓いもしており、毎年1月15日には

納められた人形や古い御札などをお焚上げしているようです。

 

最後は埴輪で・・・何故埴輪があるのだろうか?

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和田神社さんは境内も広く、他に見所もあるのですが画像として残していなかったので

御紹介出来ませんでした。

影向松 ようごのまつ なんかはもっと立派で美しかったはずが撮り方が良くないので本

来の姿を伝える事が出来なかったです。

反省しております・・・

 

和田神社の大きな赤い鳥居のすぐ南にあった神社が

― 三石神社 ―

2020年1月13日 12:40 御参拝

兵庫県神戸市兵庫区和田宮通り

 御祭神 神功皇后 

     天照皇大神

     素戔嗚大神

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こじんまりとした神社です。

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神功皇后所縁の神社でした。

由緒  ― 三石神社鎮座地の和田岬は、神功皇后摂政元年(200年)凱旋の帰路上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地である。後推古天皇(602年)がこの地に来られ、禊をされたので、祓殿塚といい玉座とされた石を三石という。 ―

 

三石の遺跡

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神功皇后・竹内宿禰・そして竹内宿禰が抱いている御子が幼き日の応神天皇

応神天皇と言えば、八幡神社でお祀りされている〝誉田別尊 ほむたわけのみこと〟です。

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 ― 40話 ―で神功皇后について少しお話しております。

 

yatutama.hatenablog.com

 

神功皇后 ここでも御姿を見せてくださいました・・・

まだまだ、神戸の海沿いでお祀りされてそうですね。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました!