― 播磨国一宮 伊和神社 ―
いわじんじゃ
2021年2月28日 14:45 御参拝
下照姫神 したてるひめのかみ
多可郡の天神社を後にして、播磨国一宮 伊和神社へと向かいました。
鳥居で一礼します。 こちらの鳥居も両部鳥居です、でも反りが落ち着いてますね。
隋神門です。
何とか撮れてますね、門の神様。 表情が物静かです。
手水舎。 黒龍様の足元に亀。
渋い黒龍様です。
御由緒です。
― 大己貴神は又の御名を大名持御魂神、大国主神とも申し、播磨國開拓の祖神、総鎮護の神と崇め、國内最高のお社として播磨國一宮と申し上げます。 ―
大己貴神/オオナムチノカミ、多くの名前を持つ神そして多くの妻と子を持つ神であ
り、子供の数は古事記では180柱、日本書紀では181柱と書かれています。
一説では、大国主神とは、その神代の時代での役職名だともいわれているようですが、
役職名であるとすればこの子供の数は納得出来ますね。
拝殿が見えて来ました。 御祓い待ちの車が並んでいます。
配祀神 下照姫神とは、大己貴神と田心姫神(宗像三女神)の御子となり、そして葦原中国平定の為に高天原からきた天若日子と結婚をした国津神です。
落ち着きのある拝殿ですね。
狛犬様が・・・ まさかのマスク姿。
幣殿・・ さすがは一宮大きな幣殿。
幣殿の左右に鶴がいました。
そして本殿です。
こんな由緒があります。
― その昔、播磨地方の豪族であった伊和恒郷に〝我を祀れ〟との御神託があった。す
ると一夜のうちに杉・桧等が群生して多くの鶴が舞っており、大きな白鶴が二羽石上に
北向きに眠っていたので、その上に社殿を造営したという。その石を〝鶴石〟といい、
社殿が北向きであるのもそのためだそうです。 ―
境内摂社に、伊和恒郷命と旧神戸村の殉国の英霊を祀る、御霊殿があります。
〝鶴石〟です。 本殿の裏に祀ってありました。
境内摂社です。
伊和神社は、成務天皇14年(144年)に創建されたといわれています。
播磨国の一宮であり、総氏神と崇められている落ち着きのある神社です。
祭神の大己貴神は伊和大神と呼ばれることもあり、播磨地方の歴史を伝える〝播磨国風
土記〟によると、伊和大神は播磨国を建てたとされています。
また大己貴神は播磨で国造りを行った後、現在の伊和神社がある場所で鎮まったとされ
ているのですが、大己貴神こと大国主命といえば出雲大社の御祭神として有名でありま
すよね。
〝播磨国風土記〟や〝出雲国風土記〟また山陰・北陸等々の地方伝承に大国主命が登場
することから考えても、やはり大国主命とは神様の役職名のようなものと考えたほうが
いいのかも知れません。
2021年の2月最後の日は、多可郡から宍粟郡の神社三社を巡って来ました!
今まで見たことのない雰囲気の神社に出会えたように思います。
次はどこに行くことになるのでしょうか? 楽しみです・・
本日もお付き合いいただきありがとうございました!