― 舎心山 常住院 太龍寺 ―
しゃしんざん じょうじゅういん たいりゅうじ
2021年11月8日 11:15 御参拝
宗派 高野山真言宗
本尊 虚空蔵菩薩
開基 弘法大師
念願の阿波徳島へ行って来ました。
まず最初に向かったのは神社ではなく古来より〝西の高野〟と呼ばれる四国八十八箇所
太龍寺は標高約600mの太龍寺山の山頂付近にあり、今回はロープウェイにて境内へ
と向かいます。
ロープウェイ乗場
全長2,775m 西日本最長で川や山を越えていくロープウェイでした。
その昔このあたりにいたという、ニホンオオカミの群れが銅像で再現されています。
途中で舎心ヶ嶽という岩場に弘法大師が修業をしておられる銅像も、ロープウェイから
遠くに見ることが出来ます。
ゆっくりと景色を眺めていたら、約10分程で山頂駅に到着しました。
手水舎
桓武天皇の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩をはじめ諸尊を造
像して安置し開創したとされております。
山号は修業地の舎心ヶ嶽から、また寺名は修業中の大師を守護した大龍(龍神)にちな
んでいるそうです。
本堂
鎮守社・・・どちらの神様がお祀りされているのでしょう?
弁財天堂・・・別名 妙音天と書かれています。
聖観世音菩薩
多宝塔
大師堂・・・手を合わせると少し雨が降ってきました。
太龍寺が〝西の高野〟といわれるのは、伽藍の荘厳な雰囲気、樹齢数百年の巨杉や大檜
に囲まれた境内、大師堂の配置が御廟の橋・拝殿・御廟と高野山奥の院と同じであるこ
とに由来しているそうです。
御廟
太龍寺縁起
延暦12年(793)19歳の弘法大師空海が、舎心ヶ嶽の上で百日間にわたり〝虚空
蔵求聞持法〟を修業なされたことは、大師24歳の時に著された〝三教指帰〟の中に
〝阿国太龍の嶽にのぼりよじ土州室戸の崎に勤念す 谷響を惜しまず明星来影す〟と記
されています。
つまり、太龍寺と室戸岬は青年時の大師の思想形成に重要な役割を果たした修業地であ
ることがうかがわれます。
なんと 杉と桧が一体化されていました・・・
お大師様に手を合わせたとたんに大粒の雨が降ってきましたが、折りたたみ傘を持って
いたのでずぶ濡れにはならずにすみました。
風もつよかった・・・
相輪橖
鐘楼門・・・鐘をつくことが出来ました。
神龍と書かれているのかな?
しかし、どのようにして描かれたものなのでしょう。
六角経堂・・・一切経を収蔵、御堂の廻りを巡ることによりすべての経文の功徳が得ら
れるとのことなので、ぐるりと一周させていただきました。
本当に久し振りの阿波徳島の旅なのですが、最初に神社ではなくお寺に行く事になった
のは自分でも意外ではありました。
しかし、この場所を巡り手を合わせ感じたのは神社のそれと似たものだと思います。
四国八十八箇所霊場は弘法大師空海によって張られた結界だという説がありますが、空
海は結界によって何を守ろうとしたのでしょうか?
または、守ろうとするのではなく何かを封じ込める為の結界なのかも知れません。
そして空海が残した言葉、〝四国と本土に鉄の橋が架かる時 逃げた狐が戻って来る〟
意味はわかりませんが、これからも四国は注目すべき場所だと感じます。
次はかねてから気になっていた神社へ向かいます・・・
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!