― 湊口神社 ―
みなくちじんじゃ
2021年4月3日 13:33 御参拝
速秋津比売神 はやあきつひめのかみ
久し振りの明石海峡大橋横断です。 天気はあいにくの曇りでした・・・
目的地は、速秋津比古神・速秋津比売神をお祀りする〝湊口神社〟。
― 24話 ―の由良湊神社も同じ御祭神です。
先日の ― 67話 ― 須磨寺で平敦盛と熊谷直実の悲話を知ったのですが、今日は
源義経が源平の戦いで平教経と南海で戦う時に、この湊口神社に佩剣を奉納し御参拝さ
れていたという言い伝えを知ることになりました。
狛犬様。
明治時代に八幡神社と合祀されたようです。
古事記ではイザナギ・イザナミによる〝国生み〟に続く〝神産み〟の中で産まれた男女
一対の水戸の神様。
そして速秋津比売神は〝大祓詞〟に登場し、早川の瀬にいる瀬織津比売によって海に流
された罪穢れを、荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會にいる速秋津比売が飲み込ん
でしまうと記されています。
そうして飲み込まれた罪穢れを気吹戸主という神が根の国・底の国に気吹(いぶき)と
ともに放ちます。
最後に根の国・底の国に放たれた罪穢れは速佐須良比売によって持ち佐須良比(さ
すらい)失われていきます。
仁徳天皇社
玉依姫命社
本殿の右手に鳥居 天照皇大御神社
天照皇大神社 左は稲荷社か?
仲哀天皇社
随神門の柱の下に蛙がいました。
柱の下に据える石で沓石(くついし)というものらしく、生き物を形とった沓石はとて
も珍しいものだそうです。
かつては現在地の北北西450m程にある〝沖の荒神〟という祠がある場所あたりに鎮
座されていましたが、眼下往来の船が神慮に触れたびたび難破したため、大明神の地
(現在の湊小学校の校庭)に遷座。
遷座の時期は不明ですが、源平の戦い(1180~1185)頃はまだ沖の荒神の地に
鎮座されていたようです。
そして明治時代に湊口神社は八幡神社の境内に移転し両社は合祀されることになりまし
た。
御参拝中誰一人見かける事すらなく、ゆっくりと御参りが出来ましたが、私の罪穢れは
根の国・底の国に飛んでいったのでしょうか?
祓戸四神の 速秋津比売神をお祀りする〝湊口神社〟でした。
本日もお付き合いいただきありがとうございました!