― 上一宮大粟神社 ―
かみいちのみやおおあわじんじゃ
2019年4月7日 12:30 御参拝
古事記で何度も登場される神様です。
まず伊邪那岐命と伊邪那美命の国産みにおいて、胴体が一つで顔が四つある島が生み出されます。
名を伊予之二名島(四国)、その四つの中のひとつ阿波国の別名として大宜都比売命の名がここで初めて登場します。
次に伊邪那岐命と伊邪那美命の神生みにおいても、生み出された神々の中に大宜都比売命の名が登場します。
結構きつい参道ですが、ここら辺で社殿が見え始めたので元気が出て来ました。
次に、高天原を追放された須佐之男命が空腹のため大宜都比売命に食べ物を求めます。大宜都比売命はおもむろにいろんな食べ物を須佐之男命に振舞うのですが、不審に思った須佐之男命が食材を用意する大宜都比売命を覗き見ると、鼻や口そして尻から食材を取り出し料理していたのでした。
そこで須佐之男命は、汚いものを食べさせたと怒り大宜都比売命を切り殺してしまうのです。
後もう少し・・・
大宜都比売命はここで切り殺されているのですが、この後に羽山戸神という神の妃神としてまた登場するのです。
辿り着きました。
せっかくの素晴らしい神社、もっとうまく撮りたかった・・・ 本殿が赤いのです。
本殿裏の御神木だったと思います。
拝殿の天井が面白い。
画面の小さな点々は桜の花びらです。
桜の美しい時期でした。
伊勢神道の根本経典とされる、神道五部書御鎮座伝記という経典を少し読んでみました。(鎌倉時代 伊勢神宮外宮の神職であった度会氏が執筆した経典)
・・・その時に成り出でた神がおられた。名づけて止由氣(とゆけ)皇太神と申し上げた。様々に變化されて、水の徳を受けられて、命を續ける術を生み出された。故に御名を御饌都神(みけつかみ)と申すのである。/抜粋しております。
止由氣(とゆけ)皇太神とは伊勢神宮外宮主祭神の豊受大御神でしょう。
調御倉神(つきのみくらのかみ)
宇加能美多麻神(うかのみたまのかみ)である。この神は伊弉諾伊弉冉命の御生みになられた神である。別名を大宜都比賣神(おほげつひめのかみ)と申し上げ、また保食神(うけもちのかみ)とも申し上げる。神祇官八神殿の御膳神(みけつかみ)である。
また神服機殿(かむはたおりどの)でお祭りする三狐神(みけつかみ)が御同座されてゐる。
故にまたの御名を専女神(たうめのかみ)と申し上げる。
齋王を専女と申し上げるのは、かういふいはれである。また稻の靈宇賀能美多麻神(うかのみたま)である。/抜粋しております。
宇加能美多麻神は伏見稲荷大社の主祭神ですので、伏見稲荷大社より以前に伊勢神宮では御倉神として祀られていたのですね。
そうすると、伏見稲荷大社の主祭神は先に伊勢神宮でお祀りされていた、その神様と大粟神社の主祭神は同じであるとなるのでしょうか?
知らなかったのですが、この大粟神社全国の稲荷神社の元社ともいわれているらしいのです。
本殿が赤いのも納得ですね。
古事記では、大宜都比売命が天照大御神や須佐之男命よりも先に登場されている事を考えると大宜都比売命とは日本神話の中においてもいにしえの女神となります。
この神社、 ずっとここにいたいと思わせる何かがあるようです。
・・・アワヒメとは大宜都比売命だったのかな?
また桜の美しい季節に訪れたい神社〝大粟神社〟 でした。