― 赤穂大石神社 ―
あこうおおいしじんじゃ
2021年7月6日 15:00 御参拝
兵庫県赤穂市上仮屋131-7(旧城内)
主祭神 大石内蔵助良雄以下四十七義士命、中折の烈士萱野三平命
播州赤穂城主浅野内匠頭長直・采女正長友・内匠頭長矩の三侯
浅野家断絶後の藩主森家の可成・長可・忠政・可隆・蘭丸・坊丸・力丸の七武
将
〝忠臣蔵〟
元禄14年(1701)春3月、江戸城中松の廊下で、勅使接待役の浅野内匠頭長矩
が、指南役の当家筆頭吉良上野介義央に刃傷におよぶという一大事件が起こりました。
長矩は将軍家綱吉の独裁をもって即日切腹、浅野家は取り潰しとなります。
これが第一の事件。
元禄15年(1702)12月14日の夜、長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七義士が
吉良屋敷に討ち入り見事主君の怨みを晴らし幕府の失政に一矢を酬いる事件が起こりま
した。
そして2ヶ月後の2月4日、義士達は武士の最高の名誉である切腹という処分を受ける
ことにより劇的な終焉を遂げることになります。
これが第二の事件で、この二つの事件を合わせたものが〝忠臣蔵〟です。
参道脇には四十七義士の石像がずらり。
手前の石像が大石内蔵助 享年45歳。
手前の石像が大石主税 享年16歳。最年少でした・・・
神門。
神門の裏には大黒様と恵比須様がいらっしゃいました。
大石神社は明治天皇の宣旨を契機として明治33年神社創立が公許せられ、大正元年
11月、四十七義士命を祀る神社として御鎮座になった。
拝殿です。
狛犬様。・・・ちょっとエキゾチックです。
本殿・・・少しだけ見えています。
境内社合祀殿 国助稲荷社・淡嶋社・恵比須宮・天満宮・山鹿社・八田社・忠魂社。
有料になるのですが、義士宝物殿・義士宝物殿別館・義士木造奉安殿・大石邸長屋門・
庭園の各施設を見学することが出来ました。
庭園内に鎮座されてます、大石稲荷社。
子宝陰陽石。
御神木の大楠です。
義士宝物殿で目にとまったのが、こちらの〝大石家略家系図〟です。
家系図の一番上には〝藤原秀郷〟(ふじわらのひでさと)の名前が見えます。
どのような人物なのでしょう?
〝藤原秀郷〟は平安時代に活躍した武人で、関東で反乱を起こした〝平将門〟を討ち取
ったことで知られています。
〝俵藤太〟という異名を持つ藤原北家魚名の子孫で、ムカデ退治の物語の主人公でもあ
るようです。(全然知らなかった・・・)
藤原氏とは、〝中臣鎌足〟が大化の改新の功により天智天皇に賜った〝藤原〟の姓が、
子の〝藤原不比等〟等の代に認められたのに始まります。
鎌足が中臣氏の出身であるため、祖は中臣氏と同じく〝天児屋根命〟と伝えられていま
す。(中臣氏とは古代日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪
族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。)
〝大石内蔵助良雄〟は中臣氏の末裔だったのですね。
7月3日に偶然見つけた赤穂四十七士の墓、そこに行くためにたまたま車を停めさせて
もらった神社が〝佐保神社〟です。
そして偶然にも〝佐保神社〟の主祭神が〝天児屋根命〟でした。・・・何かの縁を感じ
ます。
午前中に御参拝させていただいた〝大避神社〟の御祭神である〝秦河勝公〟も〝中臣鎌
足〟と同じ時代を生きた人物です。
飛鳥時代、両者の間には何か繋がりがあったのでしょうか?
とても気になります。
〝赤穂四十七義士〟をお祀りする神社〝赤穂大石神社〟でした。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!
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