LIFE LOG(今日の夢はどんな夢?)

今日の夢はどんな夢?

記憶から消えない夢達を現実に追ってみた・・・

― アワヒメを追って 97話 ―

― 本住吉神社奥宮 ―

もとすみよしじんじゃおくみや

 

2021年9月10日 12:50 御参拝

兵庫県神戸市東灘区渦森台

 

御祭神 住吉三神底筒男命中筒男命表筒男命

    神功皇后

    宗像三女神

    厳島大神

    大山津見命

 

 

今年の2月11日、弓弦羽神社の次に御参りした本住吉神社の奥宮です。

 

yatutama.hatenablog.com

 

東灘区の山手にある住宅街(渦森台)の奥まった場所にあり、あまり知られてはいない

神社だと思います。

 

私もこの神社を知ったのは、ほんの数日前。

 

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鳥居をくぐり境内に入ると、空気が張りつめているように感じます。   

 

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狛犬様。

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こちらの狛犬様には角がありますね。

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渦ヶ森の由来として、古くは秦氏が朝廷から与えられた太秦(うずまさ)のことで秦氏

の居住地だったとの説もあるようです。

秦氏についてもっと知りたくなりました・・・

 

こちらにも保久良神社と同じような磐座があります。

 

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1匹のスズメバチに威嚇され、ゆっくり逃げながらの撮影でした。

 

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高松宮宣仁親王殿下御手植

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高松宮喜久子妃殿下御手植

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大正天皇第三皇男子である、高松宮宣仁親王殿下と配偶者である高松宮喜久子妃殿下が

ここに来られていました。

 

高松宮宣仁親王殿下はもと海軍軍人だったようなので、海に関わりのある本住吉神社

奥宮へこられたのでしょうか?

 

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小さな神社ではありましたが、奥宮としての雰囲気を十分に感じさせてくれる聖域で

した。

 

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こんなに素晴らしい神社に出会えたことに感謝します・・・そして、またこんな神社と

の出会いがあることを楽しみにしています。

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 96話 ―

― 鷺宮八幡神社 ―

さぎのみやはちまんじんじゃ

 

2021年9月10日 12:50 御参拝

兵庫県神戸市東灘区本山北町

御祭神 天照皇大神 あまてらすおおみかみ

    八幡大神 やはたのおおかみ

    春日大神 かすがのおおかみ

    (熊野神社)

    熊野大神 くまののおおかみ

    高倉下命 たかくらじのみこと

    (古山神社)

    稲田宮主命 いなだのみやぬしのみこと

    (山神社)

    大山津見命 おおやまつみのみこと

    (賽神社)

    八衢比古命 やちまたひこのみこと

    八衢比売命 やちまたひめのみこと

    久奈戸神 くなとのかみ

 

保久良神社の御朱印がこちら、鷺宮八幡神社で頂けると知ったので御参りして来まし

た。

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御由緒

創立年月不詳なれども、天和、貞享及び元禄5年(1692)の「社寺書上帳」に社名御

祭神が記載され、古くより鷺森八幡宮、又産宮(さんのみや)と称し、安産の神として崇

敬され、特に「夜泣き」の守護神として遠近より参拝される人も多い。

明治40年、古山 山 熊野 賽神社を合祀す。

 

この日、久し振りに、澄みきった青空を感じました。

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手水舎

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狛犬

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本殿です。

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御朱印

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yatutama.hatenablog.com

 

94話で八幡神社へ行こうと思った先から御参拝することが出来ました。

 

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こちらの神社、保久良神社の境外末社(御旅所)で有名なのだそうです。

 

この日、さらなる聖域に行って来たのですがご報告は次回に・・・

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 95話 ―

― 保久良神社 ―

         ほくらじんじゃ

 

2021年9月10日 12:00 御参拝

兵庫県神戸市東灘区本山町

主祭神 須佐之男 すさのおのみこと

    大歳御祖命 おおとしみおやのおみこと

    大国主命 おおくにぬしのみこと

    椎根津彦命 しいねつひこのみこと

 

かなりきつい坂道を20分程登り辿り着いたのは、超古代文明カタカムナ〟で有名な

保久良神社です。

 

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御祭神である椎根津彦命・・・神武天皇が東征において速吸門で出会った国津神で船路

の先導者となる。

後、大和建国の第一の功労者として、倭宿禰(大倭国造)を賜った神様です。

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椎根津彦命が手を伸ばしている先には、灘の一つ火と呼ばれる石灯篭がありました。

昔から航海の安全を守ってきた石灯篭です。

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参道には、かわいい干支の石像が並んでいます。

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私は辰年なので・・・

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手水舎・・・柄杓はありませんでしたが、龍の口から滴り落ちる水滴で清めました。

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拝殿です・・・とても明るく見えました。

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狛犬

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祓御神社・・・御祭神 天照皇大神春日大神

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遙拝所

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八大龍王

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保久良神社略記より・・・

昭和13年(1938)社殿改築の時、神社境内外地は古代祭祀の遺跡地として認めら

れました。

それは、社殿を取りまく多くの岩石群が磐座・磐境を作り、その辺りから発見された弥

生式中・後期(紀元前200年~紀元後200年位)土器石器類が多数出土し、昭和1

6年には銅戈(重要美術品)が発見され、そのいずれもが実用を離れ儀礼的用途を持つ

ものと考証されますところから、当神社祭祀の由来も極めて古いものと証明されまし

た。

 

その磐座がこちらです。

立岩

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神生岩

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まだまだあったように思われます。

 

今思い出したのですが、ちょっと不思議なことがありました。

スマートフォンで画像を撮ろうとすると画面全体が発光したようになってしまい画像が

撮れなくなることが幾度か続きました。

そのたびにカメラのアプリを再起動させて何とか画像を残す事が出来たのですが、

初めてのことだったので少し戸惑いながらも、この地ならあり得るのかなと自分勝手に

納得してしまっていたのです。

 

神域から振り返り見る参道です・・・

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この神社へ辿り着くまで、竹箒にて急な坂道を掃除をされている女性二人に出会いまし

た。神社の境内はもちろんのこと、途中の坂道まで手入れの行き届いた清々しい神社で

す。

この日この神社に御参拝が許されたのですが、気持ちのいい御参拝が出来たのもその女

性たちのおかげのような気がします。

本当にありがとうございました!

 

やはり、この保久良神社は特別な場所でした。

 

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本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 94話 ―

― 泊神社 ―

    とまりじんじゃ

 

2021年9月5日 14:45 御参拝

兵庫県加古川市加古川町木村

主祭神 天照大神 あまてらすおおみかみ

    国懸大神 くにかかすおおかみ

    少彦名命 すくなひこなのみこと

 

鳥居が見当たりませんでした。

・・・帰り道、少し離れたところにあった鳥居がそうだったのかな?

 

神門・・・右大臣 左大臣がおられます。

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御由緒

 

伝承によれば、天照大神が天岩戸にお隠れになった時、八百万の神々が大神の怒りを解

くために鏡を造り、ひとつは伊勢神宮に祀られ、ひとつは海に流された。

大和時代、それが当神社のある場所に泊り着き、そこにあった檍の木を檍原大明神とし

て祀ったのが泊神社の始まりとされる。

 

飛鳥時代聖徳太子鶴林寺(同じく加古川市にある寺院)を建立した際、側近で棟梁

であった秦河勝紀伊国から、氏神である国懸大神を勧請し社殿を建立したと言われて

います。

 

秦河勝・・・90話で御参拝した、大避神社の御祭神です。

 

yatutama.hatenablog.com

 

こちらの手水舎では、水が流れていました。

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拝殿は新しく見えますね。

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狛犬様。

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弁財天? 市杵島姫命? でしょうか。

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各摂社が並びます。

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この泊神社、宮本武蔵ゆかりの神社として知られているようです。

宮本武蔵の養子である、宮本伊織の撰文による棟札が保存されています。

承応2年に伊織が宮本武蔵の供養の意を込め、故郷の氏神である泊神社の全社殿を再建

したことが書かれており、11行にわたる漢文で書かれた伊織の表白文は宮本武蔵の研

究資料として価値のあるものとされています。

 

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切妻造り妻入りの能舞台・・・かつては能のイベントも行われたとのことです。

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はじめて御参りした神社だったのですが、こちらの神社でもアゲハ蝶のお迎えがあった

り気持ちよく御参拝させていただくことが出来ました。

まだまだ兵庫県にも、私の知らない素晴らしい神社があるようです!

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この日、知らず知らずですが秦河勝公と縁のある神社にまた御参りとなりました。

またいい日に、どこかの秦氏ゆかりの八幡神社へ行ってみようかな・・・

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 93話 ―

― 高砂神社 ―

    たかさごじんじゃ

 

2021年9月5日 13:30 御参拝

兵庫県高砂市高砂町東宮

主神 大己貴命 おおなむちのみこと

配祀 素戔嗚命 すさのおのみこと

   奇稲田姫命 くしなだひめのみこと

 

久し振りの神社参拝です。

 

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楼門・・・鯱(しゃちほこ)が乗っています。

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拝殿です。

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狛犬様。

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由緒

神功皇后が外征のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。帰国の途中、この地

に船を寄せられ、国家鎮護のため、大己貴命をまつられたのが高砂神社のはじまりで

す。

 

・・・こちらの神社も神功皇后所縁の神社だったのですね。

 

その後、天禄年間(970年~972年)国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた

時、神託によって素戔嗚命奇稲田姫命をあわせまつったところ、疫病がたちまちおさ

まったので、庶民は喜んでお礼参りをしたと伝えられています。

素戔嗚命がまつられていることから、高砂牛頭天王とも呼ばれたらしいです。

 

 

御神木・・・いぶき

高砂〟の登場人物である阿蘇の宮神主・友成の杖から発芽したとする伝説が残ってい

ます。

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五代目 相生松・・・あるとき、ひとつの根から雌雄二本の幹を持つ松が境内に生え

た。この松は、伊弉諾伊弉冉の二神が宿る霊松とされ、相生の松と称された。

兵火によって枯死されたり、いろいろあったようですが、現在の松は五代目です。

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弁財天・・黒アゲハ蝶が迎えてくれました。

狛犬様が斬新ですね。

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本殿を後ろから・・

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摂社です・・・

和魂神社

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琴平神社

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猿田彦社・秋葉社

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神馬

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天満社

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粟島社

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稲荷社・神明社・住吉社

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尉姥神社 〝じょううばじんじゃ〟

御祭神 伊弉諾命 伊弉冉命

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愛宕

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こちらの神社、能 謡曲の〝高砂〟の舞台のひとつとも言われています。

 

清々しい境内。

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天気に恵まれましたが、暑くもなく気持ちのいい神社参拝が出来ました。

 

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世阿弥謡曲高砂〟発祥の地である、高砂神社でした。

 

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本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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― アワヒメを追って 92話 ―

― 播磨国総社 射楯兵主神社 ―

はりまのくにそうしゃ いたてひょうずじんじゃ

 

2021年8月3日 13:20 御参拝

兵庫県姫路市総社本町

主祭神 射楯大神 いたてのおおかみ

    兵主大神 ひょうずのおおみかみ

 

射楯大神(五十猛神 たけるのかみ

素戔嗚尊御子神で、全国に樹木を植え、日本を緑豊かな国にされた神様です。

〝日本の国をお護りいただいている神様〟として信仰されています。

 

兵主大神(大国主神 おおくにぬしのかみ

縁結びの神様として有名です。また少彦名神と一緒に様々な産業の発展をはじめ、医薬

の開発に取り組まれました。

この故事から〝国造りの神様〟や〝医薬の開祖の神様〟としての信仰を仰いでいます。

 

総社御門。・・国内最大級の楼門です。

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一の鳥居。

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神門。・・風格があります。

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手水舎で身を清めました。

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狛犬様・・力強い!

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拝殿です。

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由緒

欽明天皇25年(564年)に兵主大神を飾磨郡伊和里水尾山にお祀りしたことが始ま

りで、1400年余りの歴史があります。

奈良時代(700年頃)飾磨郡因達里に射楯大神をお祀りされていたことが〝播磨國風

土記〟に記されております。

延喜式神名帳〟に〝射楯兵主神社二座〟とあり、平安時代(800年後半)には二柱

の神様が一緒に祀られていたようです。

 

住𠮷社・恵美酒社・・御祭神 蛭子神住吉三神息長帯姫命

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撫でみみずく。・・・撫でてまいりました。 射楯兵主神社の神使です。

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播磨国総明神・・・東播磨西播磨 16群の神様。

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十二社合殿。

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琴平社・・御祭神 大物主神

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鹿島神社・・御祭神 建御雷之神。

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神明社・・御祭神 天照皇大神 豊受大神

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戸隠社・・御祭神 手力雄命

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案内社八幡宮・・御祭神 猿田彦神・誉田別神

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総社稲荷神社・・御祭神 倉稲魂神・千早稲荷神社・ 藤井稲荷神社・ 白長稲荷神社 。

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長壁神社・・御祭神 姫路刑部大神・富姫神

姫路城の天守閣にもお祀りされてあります。

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姫路天道社・・御祭神 菅原道真

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祖霊社・・御祭神 児島範長朝臣・維新之獅子12柱・日清 日露戦争の戦死者121

柱。

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厳島社・・御祭神 市杵島姫命

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鬼石・・昔 源頼光 大江山の鬼賊を討伐した折 その首を持ち帰り 案内社八幡宮

に埋めて標石としたものです。

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このところ体調が思わしくないので、体の気になるところ、胸から左右の肩や首筋そし

て頭を祓って参りました・・・効果のほどは後々わかってくるのでしょうね。

 

粟嶋神社・・御祭神 少彦名命

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多くの摂社・末社を御参りさせて頂きました。

天気予報では雨だったのですが、雨も降らずそして陽射しも穏やかで良い時に御参りが

出来てよかったです。

 

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アゲハ蝶もひらひらと出迎えてくれました。

 

久し振りの神社への御参拝でしたが、やはりいいものです・・・

 

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この夏の予定では広島県厳島神社香川県金比羅宮に出向く予定をたてていたので

すが、延期もやむを得ずですね。

仕方ありません・・・

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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― アワヒメを追って 91話 ―

― 赤穂大石神社 ―

    あこうおおいしじんじゃ

 

2021年7月6日 15:00 御参拝

兵庫県赤穂市上仮屋131-7(旧城内)

主祭神 大石内蔵助良雄以下四十七義士命、中折の烈士萱野三平命

    播州赤穂城主浅野内匠頭長直・采女正長友・内匠頭長矩の三侯

    浅野家断絶後の藩主森家の可成・長可・忠政・可隆・蘭丸・坊丸・力丸の七武 

    将

 

忠臣蔵

元禄14年(1701)春3月、江戸城中松の廊下で、勅使接待役の浅野内匠頭長矩

が、指南役の当家筆頭吉良上野介義央に刃傷におよぶという一大事件が起こりました。

長矩は将軍家綱吉の独裁をもって即日切腹、浅野家は取り潰しとなります。

これが第一の事件。

 

元禄15年(1702)12月14日の夜、長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七義士が

吉良屋敷に討ち入り見事主君の怨みを晴らし幕府の失政に一矢を酬いる事件が起こりま

した。

そして2ヶ月後の2月4日、義士達は武士の最高の名誉である切腹という処分を受ける

ことにより劇的な終焉を遂げることになります。

これが第二の事件で、この二つの事件を合わせたものが〝忠臣蔵〟です。

 

参道脇には四十七義士の石像がずらり。

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手前の石像が大石内蔵助 享年45歳。

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手前の石像が大石主税 享年16歳。最年少でした・・・

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神門。

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神門の裏には大黒様と恵比須様がいらっしゃいました。

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大石神社は明治天皇の宣旨を契機として明治33年神社創立が公許せられ、大正元年

11月、四十七義士命を祀る神社として御鎮座になった。

 

拝殿です。

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狛犬様。・・・ちょっとエキゾチックです。

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本殿・・・少しだけ見えています。

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境内社合祀殿 国助稲荷社・淡嶋社・恵比須宮・天満宮・山鹿社・八田社・忠魂社。

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有料になるのですが、義士宝物殿・義士宝物殿別館・義士木造奉安殿・大石邸長屋門

庭園の各施設を見学することが出来ました。

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庭園内に鎮座されてます、大石稲荷社。

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子宝陰陽石

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御神木の大楠です。

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義士宝物殿で目にとまったのが、こちらの〝大石家略家系図〟です。

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家系図の一番上には〝藤原秀郷〟(ふじわらのひでさと)の名前が見えます。

どのような人物なのでしょう?

藤原秀郷〟は平安時代に活躍した武人で、関東で反乱を起こした〝平将門〟を討ち取

ったことで知られています。

〝俵藤太〟という異名を持つ藤原北家魚名の子孫で、ムカデ退治の物語の主人公でもあ

るようです。(全然知らなかった・・・)

藤原氏とは、〝中臣鎌足〟が大化の改新の功により天智天皇に賜った〝藤原〟の姓が、

子の〝藤原不比等〟等の代に認められたのに始まります。

鎌足が中臣氏の出身であるため、祖は中臣氏と同じく〝天児屋根命〟と伝えられていま

す。(中臣氏とは古代日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪

族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。

 

大石内蔵助良雄〟は中臣氏の末裔だったのですね。

 

7月3日に偶然見つけた赤穂四十七士の墓、そこに行くためにたまたま車を停めさせて

もらった神社が〝佐保神社〟です。

そして偶然にも〝佐保神社〟の主祭神が〝天児屋根命〟でした。・・・何かの縁を感じ

ます。

 

午前中に御参拝させていただいた〝大避神社〟の御祭神である〝秦河勝公〟も〝中臣鎌

足〟と同じ時代を生きた人物です。

飛鳥時代、両者の間には何か繋がりがあったのでしょうか?

とても気になります。

 

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 〝赤穂四十七義士〟をお祀りする神社〝赤穂大石神社〟でした。

 

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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