― 大避神社 ―
おおさけじんじゃ
2021年7月6日 11:30 御参拝
主祭神 大避大明神(秦河勝公) おおさけだいみょうじん(はたのかわかつ)
天照皇大神 あまてらすおおみかみ
春日大神 かすがのおおかみ
海沿いの駐車場に車を停めると、目のまえに坂越の海とそこに浮かぶ島〝生島〟がまず
目に飛び込んできました。
〝生島〟には御祭神である秦河勝公の墓があり神域となっているため古来より人の立ち
入りが禁じられており〝生島樹林〟として国の天然記念物にも指定されています。
・・・見るからに古墳の雰囲気が漂っています。
少し歩くと鳥居が見えて来ました。
隋神門です。
最近では見慣れたマスク姿の狛犬様。
こちらの隋神門、神仏習合の名残なのでしょうか正面に左大臣・右大臣。そして裏には
仁王様が安置されてあります。
御祭神の秦河勝公とは?
飛鳥時代前半に聖徳太子に仕え、山背国葛野郡太秦に広隆寺を創建したことで有名で
す。
では秦氏とは?
〝日本書紀〟によると応神天皇の14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて
帰化したとされ、秦の始皇帝の末裔にあたる弓月君(ゆづきのきみ)を秦氏の祖とする
一族。
当時の天皇家に協力して朝廷の設立に関わったとされています。
拝殿です。
こちらの神社、ユダヤとの関係性が囁かれています。
ユダヤとの関係性・・・
・〝大避神社〟の避けるという漢字が昔は門構えの中にあり、〝大闢神社〟と呼ばれて
いた。〝大闢〟とは中国語でイスラエルの王ダビデのことである。(京都太秦にある広
隆寺の寺内社であった大酒神社にも同じ伝承があります。)
・秦氏はユダヤ人景教徒であった。(景教とは原始キリスト教の流れをくむ東方キリス
ト教のひとつ)
・12という数字・・イスラエルにとって12という数字は大切なものである。聖書に
はイスラエルの民は12部族であったと記されおり、イエスの弟子も12人でした。
そして、〝大避神社〟では12という数字があちらこちらで見受けられるのです。
階段が12段・井戸は12本の石柱で出来ている・神社への初穂料はその昔12銅。
神社をお守りする社家も12家。
坂越の船祭りは12艘の船を連ねて渡御する祭りである。 等々・・・
調べればいろいろと出て来ます。
少ししか見えていませんが、本殿です。
楽船・・・その昔楽人がこの船にのり雅楽を奏でたようです。
新宮・・・画像はありませんが、聖徳太子・住吉大神。金比羅大神・海神社をお祀りし
ています。
昨日、御参拝した海神社 今日も手を合わすことが出来ました。
淡島神社。
稲荷神社・・・元は生島に鎮座していました。
稲荷神社なのに狐様の姿が見受けられないなと思ったら、ちゃんといらっしゃいまし
た。
荒神社。
天満神社。
秦河勝公は聖徳太子死後の皇極3年(644年)、蘇我入鹿の迫害を避け海路をたどり
坂越に移り住んだ。
そして千種川流域の開拓を進めたのち、大化3年(647年)に80余歳で死去された
といいます。
秦氏所縁の神社といえば、松尾大社・伏見稲荷・上賀茂神社・下賀茂神社・金比羅宮・
八幡社・・・等々。
数多くの日本の神社に関わりをもっている秦氏、日本人のルーツを知る鍵となるのでは
ないでしょうか?
秦河勝公をお祀りする神社〝大避神社〟でした。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!