― 海神社 ―
わたつみじんじゃ
2021年7月5日 12:20 御参拝
中津綿津見神 なかつわたつみのかみ
底津綿津見神 そこつわたつみのかみ
JR垂水駅のすぐ南側に鎮座されています。
社伝によると、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進
めなくなったため、皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に綿津
見三神を祀る社殿を建てたのが始まりだそうです。
日本書紀に記される廣田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様。
一の鳥居。
海側では〝海神社〟山側では〝綿津見神社〟となっていました。
二の鳥居。
伊和神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社とされています。
狛犬様・・・子獅子が親獅子に抱きついています。
手水舎・・・迫力のある龍でした。
拝殿。
一説には5世紀後半に明石国造としてこの地を治めた海直(うみのあたえ・大倭直の一
族)の一族が祖先を祀ったのが創立ともいわれています。
江戸時代には日向大明神と呼ばれていましたが、明治4年(1871年)国幣中社になった
ときに海神社に複称されました。
後に、1897年に官幣中社に昇格しています。
本来、祭神の名から社名をワタツミ神社と読みますが、古くはアマ神社、あるいはタル
ミ神社と呼ばれました。
現在では一般にカイ神社と呼ばれて地元では親しまれています。
本殿。
参道には七福神が並んでいます。
天神社
住吉三神である、上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命と綿津見三神である、上津綿津
見神・中津綿津見神・底津綿津見神、同じ神様だと思っていたのですがが違っていまし
た。
伊弉諾命が黄泉の国の穢れを落とすために禊を行うと様々な神が生まれました。
海の底で身体を洗われた時に生まれたのが、底津綿津見神と底筒之男命。
海中で身体を洗われた時に生まれたのが、中津綿津見神と中筒之男命。
海面で身体を洗われた時に生まれたのが、上津綿津見神と上筒之男命。
古事記ではそれぞれ別の神様となっており、三柱の綿津見神は阿曇連(あずみのむら
じ)の祖先神、底・中・上筒之男の三柱が、墨江(住吉大社)の三前の大神であること
が述べられています。
阿曇連とは古代日本を代表する海人族で、発祥は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東
部)とされています。
ただどちらの神様も海の神様には間違いはないでしょう。
阿曇氏の祖先神、綿津見三神をお祀りする〝海神社〟でした。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!