― 神呪寺 ―
兵庫県西宮市甲山町 神呪寺です。
弁財天
2018年10月7日 御参拝
神呪寺は第53代淳和天皇の第四妃眞名井御前(後の如意尼)が開いたと伝えられています。
淳和天皇の第四妃眞名井御前は如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家をするために天長5年(828年)ひそかに宮中を抜け京都 頂法寺六角堂で修業の後、今の西宮神社から廣田神社、その神奈備山である甲山へと入って行ったと言われています。
主祭神 蛭児大神
2018年10月7日 御参拝
祓戸四神 瀬織津姫
2018年10月7日 御参拝
眞名井御前とは丹後の籠神社の家(海部氏)に生まれており、幼少の名は
海部厳子(あまべ いつこ)。
2020年8月23日 御参拝
― 奥宮 眞名井神社 ―
2020年8月23日 御参拝
淳和天皇からの呼び戻しの要請を避けるように、空海は眞名井御前に破格
の阿闍梨灌頂(あじゃりかんじょう)を授けて仏門のもとに保護したそうです。
― 天長七年(830年)空海は本尊として、山頂の巨大な桜の木を
眞名井御前の体の大きさに刻み、如意輪観音像を作ったといわれます。
天長8年(831年)10月18日に本堂は落慶しました。
同日、眞名井御前は空海より剃髪を受けて、僧名を如意尼とする。
その1日前、如意尼は高野山に向かって合掌し、如意輪真言を唱えながら
息絶えたそうです・・・33歳の短い命です。
知る人ぞ知るお話ですが、
33日で空海は本堂を建立。
33日で如意輪観音像を彫刻。
33歳で眞名井御前はこの世を去った。
空海と眞名井御前の物語は、33という数字が象徴的ですね。
眞名井御前は空海にただならぬ関心と尊敬を抱き
丹後元伊勢に伝わる〝潮満の玉〟を空海に預けたとの事。
空海と眞名井御前(厳子)との間にあったものとは、
愛情なのか、尊敬なのか、信仰による結びなのか・・・
数年前より知らず知らずのうちに
時間をかけて眞名井御前の後ろ姿を追っていました。