― 鹿嶋神社 ―
かしまじんじゃ
2021年3月23日 15:20 御参拝
兵庫県高砂市
御祭神 武甕槌命 たけみかづちのみこと
経津主命 ふつぬしのみこと
一の鳥居 高さ26m 幅35mの大鳥居、チタン製で日本で5番目に大きな鳥居だそ
うです、そして耐久年数がなんと1500年! 大きさから何からすごいですね。
ちなみに日本一大きな鳥居は、高さ33.9m 幅42m 「熊野本宮大社」です。
二の鳥居 ? これも鳥居かな?
三の鳥居。
四の鳥居。
五の鳥居。
最後の鳥居です。
鹿島神社は遠く聖武天皇の勅願によって、播磨の国 国分寺の東院として大日寺が建立された時、その鎮護の神として奉祀されました。
それらの影響なのか、神社でありながら香を焚き灯明をあげる風習が残っています。
手水舎も鹿嶋だけあって、鹿です。
威厳を感じます。
白くて大きな狛犬様 大理石で出来ているようです。
拝殿です。
御祭神の武甕槌命と経津主命は古事記の国譲りでも登場します。
〝国譲りとは、天津神が国津神から葦原中国(あしはらのなかつくに)の国を譲り受ける説
話〟
高天原の天照大御神は〝葦原中国は私の子、天忍穂耳命が治める国であると〟天忍穂耳
命に天降りを命じたが〝葦原中国は大変騒がしく手に負えない〟と天忍穂耳命は天照大
御神に報告しました。
次に天照大御神は天穂日命に葦原中国を統べる大国主命のもとへ行くように命じまし
た。
しかし天穂日命は大国主命の家来となり3年経っても高天原に戻ってきません。
次に天若日子を遣わせたが、天若日子は大国主命の娘下照比売と結婚し8年経っても高
天原に戻りませんでした。
大国主命の治める葦原中国・・・よほどいい国だったのか?
その後いろいろとあったのですが、とうとう武甕槌命と経津主命に葦原中国を平定させ
ることとなったのです。
武甕槌命と経津主命は葦原中国の大国主命に国譲りを迫るが、大国主命はその判断を息
子に託します。
息子の事代主命は服従したが、同じくもう一人の息子の建御名方命は武甕槌命に力比べ
を持ちかけます。
力比べに敗れた建御名方命は諏訪の地まで逃走降伏し、諏訪の地から出ない約束をする
ことで国譲りが完結します。
この武甕槌命との力比べが相撲の起源といわれています。
本殿の裏に、撫でダルマさん、コロナ対策で触れることも出来ません。
末社の御稲荷さん。 こちらは高御位山という山のハイキングルートの入口になってい
ました。(標高304m)
高御位山は播磨富士とも呼ばれており高御位山系の連峰は播磨アルプスと呼ばれること
もあるようです。
頂上には高御位山神社があり、大己貴命と少彦名命がお祀りされていますが、以前より
一度は行ってみたいと思っている神社なのです。
末社 三宝荒神・出雲社・戎社
お願い事はしませんでしたが、こちらの神社の御利益は〝一願成就〟です。
最近はコロナの影響でどうなっているのかわかりませんが、数年前の初詣では屋台が参
道にずらっと並び多くの参拝者で混雑していたのを憶えています。
桜も楽しみにしてたのですが、少し早かったようです・・・
本日もお付き合いいただきありがとうございました!
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