― 佐保神社 ―
さほじんじゃ
2021年7月3日 16:20 御参拝
御祭神 天児屋根命 あめのこやねのみこと
天照大神 あまてらすおおみかみ
大巳貴命 おおなむちのみこと
赤穂浪士の墓碑がある〝観音寺〟に行く前に立寄りました。
この日、垣田神社から西脇市の神社に向かう途中で立派な神社を見つけたのですが立寄
る予定ではなかったので通り過ぎてしまいます。
そのすぐ後に、〝赤穂四十七士の墓(観音寺)〟という標識を見てしまった私は偶然に
驚きました。
なぜなら2日前に赤穂市にある赤穂浪士を祀る神社〝大石神社〟に行く予定を立てたば
かりだったのです。
結局目的地であった西脇市の神社には駐車場がなかったので御参拝はあきらめ、〝観音
寺〟へ向かうことにしました。
そして〝観音寺〟に着いたのですが、ここもまた駐車場がありません。
そこで途中見かけた立派な神社、そこなら駐車することが出来るだろうと思い向かいま
す。
思った通り大丈夫でした。広い境内に車を停めさせて頂き、御参拝の後徒歩で観音寺へ
向かいました。
隋神門。
御由緒より
紀元前76年(垂仁天皇23年)の創建と伝えられていますが、この当時は加西の鎌倉
峰に鎮座されていました。のち奈良時代の初め養老6年(722年)に阿倍野三郎太夫
という翁に神託があり現在の場所にお遷し申し上げたとのことです。それ以来当社は郡
内のみならず播磨でも著名な神社として深い信仰を集めてまいりました。
鎌倉時代には尼将軍として有名な北条政子が当社を崇敬し、本殿の再建と四方内外に檜
造りの鳥居八基を建立させていることからもその様子がうかがえます。
なお現存する鳥居はありませんが西の内の鳥居は石造りに変わり役1.2km西の道路
脇に残存しており、〝鳥居〟という地名はこれに由来します。
隋神門内の狛犬様と閽神。
拝殿前の狛犬様。
しかし戦国時代の争乱により社領は荒廃し天文16年(1547年)には火災に遭い神
殿すべてが消失しました。その後永禄7年(1564年)に新殿を再建しましたが昔日
の壮観はついにのぞむことができなくなったといわれています。
拝殿を正面から。
拝殿と本殿・・・もとは坂合神社と呼ばれていたそうです。
毎年10月、体育の日の前の土・日曜日に開催される秋祭りが盛大で、北播磨地方三大
祭のひとつに数えられます。
稲荷社
駐車するためにだけに〝佐保神社〟へ来たように思えてしまいますが、これもなにかの
縁で御参拝することになったのでしょう。・・・感謝申し上げました。
この木の上に大きな鳥が巣をつくっていました・・・鷺でしょうか?
古代日本において天皇家の祭祀をつかさどった中臣氏の祖神である〝天児屋根命〟をお
祀りする〝佐保神社〟でした。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!