― 垣田神社 ―
かきたじんじゃ
2021年7月3日 15:00 御参拝
兵庫県小野市小田町
御祭神 表筒男命 うわづつのおのみこと
中筒男命 なかづつのおのみこと
底筒男命 そこづつのおのみこと
神功皇后 じんぐうこうごう
兵庫県小野市へと出かけましたので、帰り道に神社へ行って来ました。
小野市小田町に鎮座します〝垣田神社〟です。
狛犬様。
この日は行こうと思う神社がなかなか見つかりませんでした。
やっと見つけたのがこちらの〝垣田神社〟・・・延喜式の式内社です。
田園の中にこんもりとした森があって、その森の中央に鳥居が見える。
そんな田舎の風景、そのままの神社でした。
本殿・・・木鼻というのでしょうか? 龍は初めて見たかも知れません。
花に囲まれた境内社。
御参拝を終えましたがまだ時間があります。
このまま帰るのは勿体ないので、〝垣田神社〟付近の神社を検索してみました。
小野市内には気を引く神社が見当たらず、小野市の北側にある西脇市まで足をのばすこ
とにしました。
そして西脇市の神社に向かう道中で思いもよらぬものを目にしてしまうことに・・・
それがこれです。
何故思いもよらなかったのかといいますと、じつは2日前に兵庫県赤穂市にある赤穂浪
士を祀る〝大石神社〟へ行く予定をたてたばかりだったのです。
とりあえず西脇市の神社には行きましたが、駐車場がなっかたので急遽 Uターンして
〝観音寺〟へ行き先変更です。
まさかこんなところで赤穂浪士に出会うとは・・・・・びっくりしました。
こちらがその供養墓碑です。
墓碑の配置図までありました。
赤穂浪士とは・・・
1702年12月14日の深夜、旧主であった播州赤穂藩主 浅野内匠頭(あさのたく
みにかみ)の仇である吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷に討ち入り、吉良及び
家人を殺害した〝赤穂事件〟。
赤穂浪士とは、この討ち入りに参加した大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を含む47
人の武士のことを指します。
後にこの事件は、〝主君に対する忠義心〟を題材とした歌舞伎〝仮名手本忠臣蔵〟とし
て人気を博し、通称〝忠臣蔵〟として世にしられるようになりました。
彼らの忠義心をたたえて〝赤穂義士〟とも呼ばれています。
調べてみると、切腹の処罰を受けた赤穂浪士は東京の泉岳寺に埋葬されているようで
す。
浅野長直が加東郡のうち三千五百石を養子・長賢に分封したのが、家原浅野家。
観音寺は、その家原浅野家の菩提寺。
その赤穂の分家という縁ゆえ、境内には赤穂浪士の墓碑があるようです。
偶然とはいえ思いもよらぬ場所で赤穂浪士の墓碑に出会い、来週予定している〝大石神
社〟への御参拝が俄然楽しみになってきました!
でもこの時期、雨でないことを祈るばかり・・・
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!