― 廣峯神社 ― 陸
ひろみねじんじゃ
2021年2月8日 15:00 御参拝
―38話―の続きです。
廣峯神社の本殿は神社名の通り広嶺山山頂にあるのですが、奥宮は白幣山の山頂にあります。
本殿から奥宮まで徒歩で10~15分くらいだったでしょうか、急な坂道を登って行きました。
奥宮
荒神社
祭神 素戔嗚尊の荒魂(すさのおのみことのあらみたま)
別称 牛頭天皇(ごずてんのう)
吉備社
祭神 吉備真備公(きびのまきびこう)
最初、吉備社と書いてあるのを見て岡山の吉備津彦神社に関わりのある神社だとばかり思っていました。(行った事はありませんが・・)
ふと吉備社の左手を見るとこんな看板があります、ここで初めて吉備真備という人物を知りました。
この吉備真備という人物 地方の豪族の息子から右大臣まで昇りつめた歴史上でも稀な出世をされた方です。
遣唐使として唐へ2回行っており、1回目は19年もの間唐で学んでいます。
2回目は2年程で帰朝。
吉備真備が唐から日本へ持ち帰ったもの、いろいろあります。
唐札(唐の時代の物事の道理などが書かれた経書)・暦・楽器・囲碁・刺繍 等
そしてここからが面白いのですが、兵法・そして陰陽道・占い・・・それから
なんと!金毛九尾白面狐(九尾の狐)!
あの漫画の〝白面の者〟はここからか・・・
逸話:吉備真備が唐から帰朝する際に、日本に連れて行ってほしいという女が知らぬ間に乗船していました、それを吉備真備が承諾し日本に連れて行くのですがその女は忽然と姿を消してしまいます。その女は実は金毛九尾白面狐だった。つまり吉備真備は九尾の狐を日本へ連れて帰っていたのです。
ちなみにこの金毛九尾白面狐は後に鳥羽院の寵愛を受ける玉藻前になります。
― 玉藻前とは?平安時代末期鳥羽上皇の寵姫であったとされる伝説上の人物で妖狐の化身。正体を見破られた後は殺生石になったと言う方です。
結局、傾国の原因を吉備真備は日本に招来しているのですが、何かの意図があったのは間違いないでしょう。 ―
でも一番は牛頭天皇を日本に招来した事でしょう。
天竺の神が吉備真備の帰朝の際に、付き従って日本にやって来た。
そして吉備真備が廣峯神社に立ち寄ったその夜、夢とも現ともつかない人が現れ吉備真備はその人を祀った。その人こそ牛頭天皇であったとの事です。
神をも連れて来たのですね!
吉備真備、まだまだ不思議な伝説・逸話をお持ちのようです。
廣峯神社を知るきっかけとなったあの法道仙人 出て来ませんね?
牛頭天皇と一緒に天竺からやって来たとされる人物で陰陽道の術もわきまえていたとされています。
吉備真備と法道仙人の接点はあるのですが・・・
荒神社と吉備社の間に、こんな磐座があります。
牛頭天皇が最初に降り立った場所。廣峯一のパワースポットとホームページに書いてありました。
鈍感な私は、この場所を楽しんでばかりでしたが気付かずともパワーは頂けたはず・・
こんな逸話もあります。
中世末期から江戸初期にかけて書かれたとされる三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集
では、唐で助けてもらった阿部仲丸の恩義に報いるため、吉備真備は仲丸の子孫のいる常陸の国を訪ねる。そこで仲丸の子孫である一人の童子に会い金烏玉兎集を授けたとあり、その童子は後の阿部清明となる。(三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集とは陰陽道の聖典)
阿部家は吉備真備を陰陽道の始祖としているのですが、二大陰陽道家である、加茂家もある時期には吉備真備を祖としていたそうです。
薬師堂
ここで不思議な事がありました。
たまにしか神社仏閣詣りに付き合ってくれない嫁。奥宮の帰り道あたりから両足がつってまともに歩けなくなりました。
この薬師堂まで肩を貸してあげたり大変だったのですが、薬師堂に御参りしたとたん普通に歩けるようになったのです。
嫁は斜面から平地へきたから治ったのだとか言ってましたが、不思議さを隠しきれてなかったです。
天祖父社
左手に夫婦岩。
京都の亀岡にも廣峯神社という古社がありますが、主祭神は同じく〝素戔嗚尊〟・・・
何か繋がりがありそうです。
廣峯神社 掘り下げればいろいろ出て来そうな神社でした。
本日もお付き合いありがとうございました!