― 権現宮 證誠神社 ―
しょうせいじんじゃ
2021年4月25日 11:30 御参拝
御祭神 五十猛尊 いそたけるのみこと
五十猛尊は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子神で、古事記に登場する大屋毘古神(おほ
やひこ)と同一神とされ、別名を射楯神(いたてのかみ)とも呼ばれております。
由緒
987年 第66代一条天皇の御代・須磨の真南にあたる紀州熊野の大神を勧請し、妙
法寺川沿岸の大手・東須磨・板宿・野田・駒ヶ林の五ヶ村の氏神として創祀される。
徳川の代に至り〝須磨聖霊大権現〟と称せられた。
明治初年〝證誠神社〟と改め明治6年に村社、同14年に郷社(須磨区内唯一の神社)
となり須磨区一円の守護神として、その御神徳を崇敬せられ現在に至ります。
手水舎はやはり使用禁止だったので、あらかじめ用意していたミネラルウォーターで手
と口を清めました。
狛犬様
拝殿です。
明るくはっきりとした気に満ちた神社です。
五十猛尊をお祀りする神社に御参りするのは初めてでした。
― 日本を緑豊かな土地にした植樹の神様 ―
高天原を追放された父である素戔嗚尊といっしょに朝鮮半島の新羅国へ天下った五十猛
尊は多くの木の種を携えていました。
しかし新羅国で暮らすのが嫌になった素戔嗚尊は五十猛尊とともに日本へ渡ってきま
す。
持っていた多くの木の種は新羅国に植えることはなく日本へ持ち帰り、国土全体に種を
植えて回りました。
そうして日本には青々しい樹木が茂るようになったそうです。
日本書紀に登場する樹木の女神、 大屋津比賣命(おおやつひめのみこと)と
都麻都比賣命(つまつひめのみこと)は五十猛尊の妹神です。
神馬の跡
原型は神馬だったのでしょうか?
拝殿の右奥に、末廣稲荷大神。
この花、Google Lensではアザレアかサツキと教えてくれました。
たぶんサツキじゃないのかな?
緊急事態宣言が発令された当日に神社参拝に出掛けるのもどうかとは思いましたが、画
像を見て頂いた通り人影もなく、そして最近では神社にもアルコール消毒液が置かれて
ありますので大丈夫かと・・・寄り道せずに帰ります。
今日は天気も良く、心地良い御参拝が出来ました。
これから当分の間、人が集まる有名どころの神社には行くことが出来ないので、地元で
しか知られておらず誰とも接触しない、こじんまりとした神社に御参拝出来ればいいな
と思っています。
そんな神社を探すのもまた楽しいものです。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!