― 甲山 神呪寺 ― (再)
かんのうじ
2021年4月10日 御参拝
兵庫県西宮市甲山町
2018年の10月以来の御参拝です。
仁王門 左に廣目天 右に増長天 / 仏教における天部の仏神 四天王
廣目天
門の中心の火炎宝珠がいいですね。
後方に見える山が甲山。
190年頃 神功皇后が平和を祈願して金の兜を埋めたと伝えられ、また兜にかたちが
似ているところから、この名がつけられました。
神呪寺とは神を呪うという意味ではなく、甲山を神の山とする信仰があり、この寺を神
の寺(かんのじ)としたことによるといいます。
弁財天でしょう。 龍神様がおられるとか・・・
巨大な灯篭
いろんな石碑があります。
もう少し早ければ桜がきれいだったかな?
本堂です。
― 17話 ― より
神呪寺は第53代淳和天皇の第四妃眞名井御前(後の如意尼)が開いたと伝えられています。
淳和天皇の第四妃眞名井御前は如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家をするために天長5年(828年)ひそかに宮中を抜け京都 頂法寺六角堂で修業の後、今の西宮神社から廣田神社、その神奈備山である甲山へと入って行ったと言われています。
眞名井御前とは丹後の籠神社の家(海部氏)に生まれており、幼少の名は
海部厳子(あまべ いつこ)。
淳和天皇からの呼び戻しの要請を避けるように、空海は眞名井御前に破格
の阿闍梨灌頂(あじゃりかんじょう)を授けて仏門のもとに保護したそうです。
― 天長七年(830年)空海は本尊として、山頂の巨大な桜の木を
眞名井御前の体の大きさに刻み、如意輪観音像を作ったといわれます。
天長8年(831年)10月18日に本堂は落慶しました。
同日、眞名井御前は空海より剃髪を受けて、僧名を如意尼とする。
その1日前、如意尼は高野山に向かって合掌し、如意輪真言を唱えながら
息絶えたそうです・・・33歳の短い命です。
日本三大如意輪である如意輪観音像は秘仏となっていますが、5月18日に融通観音大
祭があり本尊の開扉があります。
梵鐘 この鐘の音は遠くまで響き渡りそうです。
弁財天
聖観世音菩薩
多宝塔
甲山稲荷大明神 お稲荷さんはどこに行ってもお見えになります。
白髭大明神 善女龍王
鎌倉時代初期の源頼朝の再興後も、寺は栄枯盛衰を繰り返し、戦国時代には兵火にも遭
い、現在の本堂は江戸時代に再建されたものです。
境内から市街地が一望でき、右手には神戸の海も見えます。
御朱印頂きました。
私にとって何か特別な想いを抱かせるお寺、そしてふと行きたくなるお寺、神呪寺で
す。
本日もお付き合いいただきありがとうございました!